西田卓司「自分にとってのふるさと」【村民インタビュー】
西田卓司さん
45歳・まきどき村歴20年・現職は現代美術家・人の集まる場を作る種まきおじさん
インタビューした人:河野有沙
カジュアルに畑を体験してほしいと、まきどき村をスタート
まきどき村を生みの親、西田さん。大学生時代に畑をやりたいという思いから、「畑をやるなら山のふもとだろ」と、大学から通える西浦区福井で畑を始めました。なぜ大学の外で始めたのかお聞きすると、「当時農業に対してハードルが高いイメージを持たれがちだったが、カジュアルに畑仕事を体験できその楽しさを知ってもらいたかった」と。だからこそ、サークルではなく一般の人も訪れられる場にしたそうです。温泉や地ビールを目的に訪れた人にも興味を待ってもらえたらと、じょんのび館第二駐車場側で活動を開始しました。
忘れられないあの日
ここで、まきどき村立ち上げ時のエピソードを1つお話したいと思います。1999年8月1日、真夏の朝7時。気温が36度以上の中、西田さんは大学生らと竹炭用に竹割りをしていました。
1時間程作業をしてみんなで休憩していると、そこに1人のおばあちゃんが「今日は暑くて大変だね」などと少し会話を交わし通りすぎていきました。ただそれで終わりではなく、そのおばあちゃんがトマトを人数分持って戻ってきてくれました。そしてみんなでそのトマトをかじった瞬間、何とも言えない空気になったといいます。
「その時『これだ!』と思った。今まで半信半疑で畑をやっていたが、この時に活動の意義を感じ自信が持てた。」と西田さんは語ってくれました。
きっと、食べる喜びを共感出来て快感だったと思いました。
自ら作り上げた場所
5年目には同じく福井にある佐藤家保存会との縁から、佐藤家を使う今のスタイルになりました。そんな20代をかけて作ったまきどき村について西田さんは、「自分にとってはふるさと。ふるさとの定義は創造的行為を全力で行った場所。ただ当時の自分にとってのまきどき村を表すなら、ファーストアルバムと言える。」と話していました。つまり、自分のやりたいことを表現し徐々に形になって、今やまきどき村はふるさとと呼べる場所になっているのではないかと感じました。
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