前山秀樹「人生を変えたまきどき村」【村民インタビュー】
前山秀樹さん
この村になくてはならない存在。村長の前山秀樹さん。出身は東京、運動と健康が苦手な45歳です(笑)
インタビューした人:赤沼薫
村長の人生は、まきどき村なくして語れないぐらい、聴いていてまきどき村がたくさんでてきました。
出会いはラジオ番組
まきどき村ができたのは1999年。西田卓司さん(他のインタビュー参照)が、結成しました。村長が西田さんと出会ったのは、まきどき村が結成してから3年後。当時、『まちおこし』というワードが流行っており、西田さんが地域交流をテーマにコミュニティFMでラジオ番組をしていました。その時、ちょうど村長も同じ放送局で映画紹介をする別番組を担当していたそう。そんな中、西田さんの番組が大変になり、村長に番組のヘルプの依頼がありました。 西田さんは「一緒に(仕事を)やるなら自分の活動を知ってほしい」と、当時のまきどき村を紹介され、これがまきどき村と村長の出会いでした。
元々、まきどき村は“畑が出来る公園”を目指して創られたところ。活動は現在のじょんのび館の第二駐車場、そのころは空き地だったところを畑にしていました。村長も一回目は見学していたものの、二回目からは一緒に作業をするように。東京からわざわざ人が来ていたり、当時から様々な人が来て作業をしていました。村長も出身が東京で、農作業に憧れを持っていた一人でした。
まきどき村の“村長”誕生
事が起こったのは、2004年の中越地震。
地震で様々な人が被災しました。西田さんは、その被災した人のなかで子どもたちの教育を支援しようと活動をはじめました。当時はボランティアがまだ一般的ではない頃。西田さんは、まきどき村の活動からだんだん被災地ボランティアをメインにしていきました。
そこでまきどき村の運営の担い手として白羽の矢がたったのが村長でした。この頃にはすでに佐藤家が使えるようになっていて、現在のように毎週日曜に集まり、朝ごはんを食べて、作業する、という一連の流れが出来ていましたから、村長も運営を任された以上、毎週日曜日をまきどき村で過ごすようになっていきました。
突然ですが、あなたにとって日曜日ってどんな曜日ですか?私は、寝る曜日です。世間一般的には休む日ですね。その日曜が、ある程度の義務感をもって活動をする日になったら、どうですか?
村長も最初のころこそ、日曜に集まって作業することは苦ではありませんでした。しかし、長年活動を続けていると、まきどき村の活動が定着してきて、人もありがたいことに増えていたそうです。そうなると、今日は村に行かないで家でゆっくりするか…というわけにはいかなくなってきました。なにせ、村長は運営を任されている立場だったから。辛い時期もあったそうです。自分の時間が削られて、休めない状況。でもその反面、このなんとなく集まる活動にもある程度の信頼関係ができてきて、この活動を残していきたいという想いもありました。村長はずっと、葛藤しながら活動する時期がありました。
そんな時、佐藤家保存会の一人のお母さんからお見合いのお話をもらって、ご結婚なさったそう。村長にも家族ができて、いよいよ日曜の時間を家族にあてたいと思うようになりました。結婚を機に退きたいと思っていた時に、ちょうど現在主体的に運営を行っている唐澤さんたちが活動に積極的に参加してくれていたため、村長も休めるようになり、段々と今の運営の形になりました。
村長が“村長”になるお話でした。
こうして村長のお話を聴くと、まきどき村が今在るのはこの方のおかげであり、いなかったら今の形にはなっていないし、存在することも危うかったのではないかと思います。続けることの大変さと凄さを感じました。
ちょっと小話 -不登校だった女の子―
まきどき村には様々な人が来ます。作業をメインに来る人もいれば、コミュニティを創るために来る人もいます。村長が出会ったたくさんの人の中で、心に残っている女の子がいます。
その女の子は、不登校でした。一緒に作業をするわけでもなく、好き嫌いもあって朝ごはんもあんまり食べず、ちょっと難しい女の子でした。
村長も最初、距離間が分からず、仲良くなれていたか分からなかったそうです。でも、村長の雰囲気とか接し方がよかったのでしょう。少しずつお話をしてくれるようになりました。
その後、彼女がどうなったか詳しくは分からないそうですが、村長の結婚を祝って色紙を作ってくれたり、おんぶひもを作ってくれたりと、村長が思っていたより距離間が近づけていて、すごく嬉しかったために、印象に残っているそうです。
村長の様々を受け入れる力が分かるお話ですね。
村長にとっての“まきどき村”
村長の波乱万丈な人生を聴かせていただきましたが、その上でやはり聴いてみたいのは『村長にとってのまきどき村』ですよね。皆さんが気になるところ、きいてみました。
「良い意味でも、悪い意味でも、まきどき村で人生が変わった。糧とかではないけれど、週一回、朝にお掃除しにいく場所。それぐらい、生活にしみついているところ。今では、世代交代しているしいつでもひける状態にいるから、定年退職した気分」
ちなみに、なんでお掃除しにいく場所なのか聴いたところ(毎回いつのまにか来てお掃除してるな…と思ってました)、「ココ汚い」と言われたことがあり、ショックだったらしくお掃除するようになったそうです。村長にとっては若干の汚れが逆に味があっていいと思っていたことが、相手(他の人)は受け入れてくれるとは限らないということに気づいて、お掃除するようになったそうです。自分の価値観と他人の価値観は違うことがよくわかるエピソードだなと思いました。
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